コラム:AKB48第2章に期待すること

これまでのAKB48、つまりは第1章を振り返ろうとした時に
私たちは今あるAKBを基準に考えてしまいます。
紅白出場までの道のり、
東京ドームまでの道のり、
たかみなさんの3775日の偉大な功績。
歴史年表みたいに、偉大なストーリーだなって、そう思ってしまいます。
事実大変なストーリーです。

10年前、秋葉原では若い子たちがみんな、もがいていました。
スタッフさんも秋元先生も含めて、誰一人として明日が見えない中で
時に笑顔で、時に涙で、時には重く、時には気楽に。
みんなが等身大で、自分の役割を見つけたりして残していった足跡を
後から他人が歴史と呼んだり、栄光と呼んだりするんだと思います。
偉大な年表も、バラしてみると「その1日をどう頑張ったか」の積み重ねだと思います。

尊敬するグループを自分たちの世代で衰退させたくないっていう意味で
AKB48の輝きを守っていきたい」って言ってくれる人もいるのかもしれません。
でも、AKBって1冊の本じゃなくて、みんなの足跡であって、みんなの人生そのものなんだから、
ほいっと手渡しで継承できるものじゃないのかな、とも思います。
それができるとしたら、辛さや苦しさの乗り越え方も簡単に解るけど、
その代わり劇場やコンサートでのワクワクや新鮮さもなくなってしまうはずでしょう?

辛さの乗り越え方は継承できない以上、
たかみなさんの言葉も、秋元先生の歌詞も、ファンの声援も届かずに
真っ暗になってしまうこともあるかもしれません。

それくらい真っ暗な状況が訪れた時は、
それこそが、たかみなさんたちを育ててくれた逆境なんだって、意識してみてください。
乗り越えた先に、「あの日のたかみなさんの言葉はこういう意味だったのか」って、
答え合わせみたいに意味が分かることも多いと思います。

たかみなさんたちの言葉にまだまだ助けられることも多いと思います。
でもそれはきっと、辛い目に遭わないためではなくて、
乗り越えたあとで、自分の道のりを再確認するため。

メンバー一人ひとりの足跡以外、これからのAKBを作ることはできません。
みんなが10年前のたかみなさんであり、敦子さんなんです。
同じように笑ったり悩んだり迷ったり、最初はいびつな形からでも始めていって
そうして残していった足跡を、他の人たちがAKBの第2章って呼んでくれるんだと思います。
それが輝かしいかどうかは後から他人が決めるもの。
やれることを一歩一歩。自分自身の足で踏みしめていくこと。
みんなにはそれを見失わないでほしいなって思うんです。

10年前に比べて、AKBが培っていた歴史とか、吹き荒れてくるSNSとか
聞こえてくる情報は遥かに増えたと思います。
だけど、最近いろいろ見えている情報って
どこまでがみんなの役に立つんだろうなって、疑問にも思います。
それだったら、10年前みたいに「人生は、未来なんて見えない」っていうことを、いっそ胸を張ってほしいなって思います。

先輩方から直接学ぶことができる時間は、
みんなの想像以上に短いはずです。
荒波に漕ぎ出す第2章という船に地図はありません。
だけど、先輩が体験してきた喜怒哀楽を時間を超えて共有できるのは
世界中で、この船にいるみんなだけなんだ。

雨よ降れ、嵐よ吹け!
第2章を担う皆さんにこの言葉をエールとして送ります。

(16.12.25 秋元康 1分後の昔話「今、ここに居られること」に感化されて)